おいちゃん、自分がわからんわ!

虹 思い

こんちはヤス爺です。

建築を離れ、就職しまして毎回満員電車に揺られております
ほんどもって驚いたのは通勤に向かう
リーマン・ウーマンの足の速さです

オッサンからすると競歩のように思っています
前嫁と歩いていても
そんなにセカセカするなよ て 言葉をかけていましたが
リーマン的 生活をすると
それが当たり前だと知らされます。

でもね、でもね、オッサンがこんな思考になっているのは
わけがあるのです 幼い頃から一回り上の姉がいまして
ちょうどGS全盛期の頃ですは
スパイダースのショウーに連れて行ってもらって
マチャアキが投げったお菓子のマイクを
お姉の友達のお兄さんからもらった頃
鈴木ヒロミツのCMがながれていたのです。

たぶんこのCMが私の人生において
【急ぐ必要はないと】教えてくれたように思う

懐かしのCM – モービル石油 – 旅立ち編 – 1971

その頃受けった影響と言うのが
サイケデリックていうのもあるし、人と違う方に感情が向かっていたよう思います
ヒッピーてのも憧れていました
世間の人の真逆がカッコいいと考えてた時代なのです
今から考えると自分の思考がわかりません
高校を中退し大工の修行を4年ほど住み込みでしました。

年明けをすると一人作業をしていると、忙しない建築現場の嫌になり
バーテン見習いを2年ほど、今では何をしたかったのカナ?
て思いますが23歳の時バーテンをしていて気づきました
俺ってアホやネンな?

この町では高級クラブ、高級待合室的なbarでした
訪れる人訪れる人
商社の接待やら芸能人の方で違う世界に感動していました
入川保則サン 内藤國雄サン
青バットの大下サン←ようわからんネン
あとから聞いて凄い人らしいが野球に興味ない人には感動もセンは
みんなボキャブラリーすごくあり
人を引き付ける魅力ある人だと知りました。
俺ってバカやなってことを感じ勉強しょうと夜間の高校へ卒業はしましたが?
行く意味があったのかわかりません。

て書いてるうち、思い出しました
16の頃、神戸三宮の地下の喫茶店で働いているとき

川谷拓三・森下愛子・武田鉄矢 あとはおもいださないけれど
みなさんが帰ったあと
下げられたカップに森下愛子さんのカップに口紅がついていたんだ
先輩のウエイターが私のまえでニヤリ
愛子さんのカップをかぶり付きました・・・

28歳の頃に工務店に就職しました
久しぶりの現場作業でした 一生懸命 働きました、この時代でも
嫌がらせというか見下す人 職人がいましたが
職人の親方って言うかボス的な人に気に入られ
なにかあることにヤス ヤスって呼ばれるようになりました

いじめにかかっていた職人たちの態度もコロリとかわり
ちょいと人間不信になりましたが
それが、世の常とわかったしだいです。

こうして50歳もこえ、病院の冷たい機械室で一人過ごしていると
なんとか生きている自分がおかしくなります。

孤独死か・・・
連れには言っています、役所に連絡し葬ってくれって
寝てる間に迎えにきてくれへんカナ?

それでも明日は良い日でありますように(≧∇≦)b

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